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惠土孝吉氏の思い(その1)

中京大学、東京大学、金沢大学で多くの学生を指導し、4月に新著を上梓した惠土孝吉氏。

本誌の最新号(7月号)では、惠土氏の新著編集に携わるなど、長年にわたって交流を続けてきた鈴木智也氏(元本誌編集長)が、氏の思いやエピソードを4ページにわたり綴っております。

その先頭ページをこちらに紹介。

惠土氏が剣道や剣道界への思いについてインタビューをした記事が、1993年12月号「インタビュー・剣士の矜持」に掲載されていました。今回はその記事を特別に公開いたします。

「アーカイブ掲載」剣道の良さは「思いやり」の心だ
自分を知り相手を知らなければ勝てない(その1)

かつての小さな大選手は、六段以後段審査を受けず、ここ何年かは試合にも出ていない。
だが、剣道界に嫌気がさして背を向けてしまっているのではない。
科学的トレーニングにより金沢大は国立大としては目ざましい戦績を上げており、
自信は学生剣道連盟OBという立場で信念を持って行動している。
本誌上でも何度も種々の問題点を提起し「学校関係三団体からの要望」にも積極的に動いた。
鋭い舌鋒は、自分の身を守るよりも、剣道をよくすることを考えているからこそ、 剣道を深く見つめ、剣道のことを四六時中考え続けているからこそであろう。

(文 鈴木智也)

 インタビューは月日の全日本選手権より前に行なわれたが、恵土氏は宮崎正裕の強さを認め、優勝もあると予想していた。恵土氏自身は戦後になって剣道を始めた最初の世代で、昭和36年、初出場で3位になった。前年、21歳で優勝した桑原哲明や、翌37年に23歳で優勝した戸田忠男は同い年で、かれらとともに剣道界に新しい波を起こした自分と、宮崎選手がだぶって見える部分があるようだ。

 宮崎君が勝ってから剣道界は少し変わったのではないかな。いい方向に向かっているのではないでしょうか。それより前の一時期はパワーのある大型選手しか勝てない大会になっていました。宮崎君は普通の体格で、技術的に優れ、作戦、戦術によって勝っている。一番の特長はスピーディーなところ。速いリズムで打つ速攻型ですね。彼にはまだ(優勝の)チャンスはあると思います。

 中大の山下(忠典)君にも近い将来可能性はあると思いますよ。一昔前なら鍋山(隆弘)君にも十分チャンスはあったと思いますが、宮崎君の登場で剣道が変わっているので、ちょっと出てくるタイミングが悪かったのではないかな。

 かつて選手権を取った山田(博徳)君、西川(清紀)君、林(朗)君のようなパワフルな選手ももちろんいいが、宮崎君のようなタイプもいていいと思うんです。

 剣道の世界に限らないが、ある程度の年齢になると「昔はよかった」という気持ちが強くなる。刀での斬り合いを想定して成り立っている剣道では、刀が非現実的なものになるにつれてその根本的な部分が失われていくから、ノスタルジーだけではなく、変質することには確かに問題もあるのだが、戦後に育った恵土氏以降の世代、とくに大学などの現場にいる指導者には、時代の流れとそれに伴う変化を冷静にとらえる人物が多い。その中でも恵土氏は、具体的に何をすればいいか、という方策をつねに考えている一人だ。では、伝統を軽んじているか、というと決してそんなことはない。

 たとえば、日本剣道形は日本の伝統的な文化としての形だから、重要であり、残していかなければならない。それに対する本質的な研究を充分やるべきだと思います。

 いま多くの剣道家はただ手順を追っているだけです。たとえば一本目はどの流派からとったのか、なぜ上段の構えをとるのか、なぜ一本目は小手なのか、四本目はなぜ脇構えなのか、それらが実際の剣道とどう結び付くのか、そういったことを明らかにし、学んだほうがいい。

 私は高野佐三郎先生の一番弟子の佐藤卯吉先生に形を月回、年間教えてもらったんです。佐藤先生が中京大学の師範をされていましたから。一本目をやると「恵土君それは違うよ」と言う。何回やっても「違う」というだけで何も教えてくれない。最後に先生がお辞めになるときに、「恵土君しょうがないので教えてあげるよ」とやっと教えてくださった。

 教えてもらったら簡単なことなんです。それは「早く下がりすぎる」ということ。ぐっとためて引き付けて最後のこちらが変化ができないところまで詰めさせて応じなければならない。もちろん打たれてもいけない。聞いたら簡単なことですが、それが本当の形でしょう。

 そして佐藤先生は、たとえば二本目でも横面とか突きとか打ってくるんです。「たまたま小手を打つ約束があるだけで、本質からいったら横面を打っても突いてもいいはずなのだ」と言う。そういう状況や気迫にも対応できる形をやれば、実戦にも即結び付いてくる。もっと実戦的で、リアルな形をしなければ形の意味がないですよ。私は真冬に五、六本やっただけで汗だくになってしまう。木刀でも私の形は怖いと人に言われます。

 スポーツの方法を取り入れた指導をしている恵土氏だが、そのようにかつては武道的な教えを受け、今でも武道の要素を認め、それを生かす方法も考えている。

 剣道の武道としてのよさがどこにあるのかといえば、具体的には、子供のころから「規則を守る」「挨拶をする」「相手の気持ちを察する」「わがままな気持ちをおさえる」、そういうことを学んで段階を経て成長していくところでしょう。他のスポーツは楽しければいいが、剣道の場合は、楽しく競技を争うと同時に、修養の世界を楽しむところによさがあると思います。

 ただ、最初から精神ばかりを強調しても無理があると思うんです。剣道の武道的なよさを理解させるには、まず剣道を好きにさせなければならないでしょう。だから、武士道精神、武道的要素は、発育段階に応じてその素養を少しずつ、高度な深いものに変えながら身につけさせていくことが必要だと思うのです。

 ところが今は最初から高度なものを求めている。少年期、青年期、高齢期それぞれの目標を立てて、それに対して実行可能な競技方法なり審判法を考えるべきだと思うのです。

 明治村の大会に出るクラスになれば、審判がいなくても、「参りました」と頭を下げて自己審判制でできるくらいの精神的に高い境地に達しているべきだと思うのですが、とてもそこまでは至っていない。八段、範士ともなれば、自分がいい剣道ができていないと思ったら、そこで辞退するくらいの謙虚な気持ちを持つべきだと思うのですが。

 ただ、武道的な精神といいますが、他の競技であっても、真剣にやっている人は武士道的な日本人らしい考え方になっていくと思うんです。ヤクルトの野村(克也)監督が今年の日本シリーズ1回戦を勝ったときに、有頂天にならず「かえって危ない」と言っていました。精神的におごりが出てはいけないと思ってあえてそう言う。あれこそ武士道的だと思います。剣道をしていなくてもそういう人はいっぱいいるんです。

 剣道のよさを実の伴ったものにするため、みんなで英知を出し合い、具体的な行動を起こしていかなければならないでしょう。剣道の理念というものがあっても実際にそれに向かって動いていない。たとえば五十歳すぎの人なら防具などつけていなくても「あ、あのひとは剣道をやっている人だ。どこかが違う」といわれるくらいにしていきたいものです。

(その2につづく)

著書紹介

夢剣士自伝(惠土孝吉著)全480ページにも及ぶ大作
剣道の科学的上達法(惠土孝吉著)2007年刊

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