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ともに目指した日本一 立場は違えど目標はひとつだった

ともに目指した日本一 立場は違えど目標はひとつだった

ともに目指した日本一 
立場は違えど目標はひとつだった

休刊告知号(2018年/No.504)より―

岡井 博史(おかい ひろし) 編集部員

編集部で過ごした時間はおよそ15年ほどになるのか。どの取材も印象深いのは当然のことだが、その中でもとくに記憶に刻まれているふたつの取材について書き記したい。みんなに伝えたいこと、ここには書き切れないことはたくさんある。それはまた別の機会に必ずや。

初の担当企画が皆に愛される人気連載に

編集部員にはそれぞれ担当する連載企画があるのだが、一人の人物をクローズアップした企画で言うと自分が人生で初めて担当した連載がこれだった。よく人から「印象に残っている取材は?」という質問をされる機会も多いのだが、そんな時には髙倉聖史先生の連載の話をしたり書いたりすることも多いので、もしかしてそれをどこかで見聞きした人もいるかもしれない。自分の人生初の本格的な担当連載だったこともあるが、おこがましくも髙倉先生と大分県杵築市立杵築中学校剣道部とはともに戦ってきたという意識も強い。髙倉先生の存在なくして、自分が「剣道日本」で過ごした歴史は語れないとも思っている。

 そもそも企画のきっかけは、誌面の中でも層の薄い小学~中学生に向けたレッスンものを、といったことだったと思う。連載に適した指導者はいないか、と編集部内で意見を出し合う中で挙げられたのが髙倉先生の名前だった。記憶は定かではないが、編集部の誰かが大会会場かどこかでその独特の指導法を見たのか聞いたのか。髙倉先生は大分県富来中学校の監督を務め、平成11年には男子部を、翌12年には女子部をそれぞれ全国中学校大会の決勝へと導いた指導歴があり、当時は杵築中に赴任したばかりだった。電話で連絡を取って先生本人に連載の依頼をしてみればすぐさま快諾、トントン拍子で連載「高倉先生の剣道レッスン」のスタートが決定した。

そもそも企画のきっかけは、誌面の中でも層の薄い小学~中学生に向けたレッスンものを、といったことだったと思う。連載に適した指導者はいないか、と編集部内で意見を出し合う中で挙げられたのが髙倉先生の名前だった。記憶は定かではないが、編集部の誰かが大会会場かどこかでその独特の指導法を見たのか聞いたのか。髙倉先生は大分県富来中学校の監督を務め、平成11年には男子部を、翌12年には女子部をそれぞれ全国中学校大会の決勝へと導いた指導歴があり、当時は杵築中に赴任したばかりだった。電話で連絡を取って先生本人に連載の依頼をしてみればすぐさま快諾、トントン拍子で連載「高倉先生の剣道レッスン」のスタートが決定した。

 初めての出会いはおそらく2006年だったろうか。会う前はなんとなく強面なイメージも強かった髙倉先生だったが、実際にお会いしてみれば実ににこやかで優しい人だった(教え子たちからすればどうか分からないけど……)。これからのプランを話し合う場で髙倉先生がしきりに口にしていたのは「こんな田舎の学校にわざわざすいませんね、なんの実績もないのに」という言葉だったのだが、この時はさほど気にはならなかった。

 企画は長期の連載を見込んでいたので、たった一度でそのすべてを取材することはもちろんできない。タイミングを見計らっては大分へと向かい、取材を重ねていくに連れて互いの緊張も自然とほぐれていった。子どもの頃は野球少年だったこと、高校時代にヤンチャが過ぎて強制的に剣道部に入部させられたこと、名門国士舘大学で過ごした面白おかしい日々の思い出といろいろな話を聞いた。

 関係が深まる中で思い出したのが、初対面の時に聞いた「こんな田舎の学校に——」という髙倉先生の言葉だった。あの言葉は謙遜半分、そしてもう半分はおそらく本音だった。面と向かって尋ねたことはないが、きっとそうなのだと思う。輝かしい戦績のすべては富来中時代のもので、杵築中に赴任して以降は思うような戦績を残せずにいた時期でもある。連載が始まって以降、「『剣道日本』さんに取り上げてもらっているんだからがんばらにゃ!」と息巻いていた髙倉先生。プレッシャーをかけて申し訳ないなと思いつつ、どこか自分の中には自信のようなものもあった。髙倉先生の練習がとにかく斬新だったからだ。「俺の指導法は全部勘みたいなもんよ」と本人は笑っていたが、説明を聞けば理屈が通って納得がいくものばかり。従来の剣道指導では教えてくれないことが満載だった。そして杵築中の生徒たちも良かった。田舎育ちの自分がこう言っては失礼だが、みんな素朴でとても素直な子たちだった。そんな部員たちがメキメキと実力を伸ばしていく姿を見ているうちに、この人たちを日本一にさせてあげたい、と思うようになった。

「高倉先生の剣道レッスン」は人気企画となった。連載終了後には単行本化もされ、2011年4月号からは連載第二弾の「高倉先生の剣道レッスン2 ゼロからはじめて強くなる!」がスタート。その連載中についに日本一になる夢を叶えた。しかも男子団体戦、個人戦の二部門制覇である。

 会場でその瞬間に立ち会うことができたのは本当に幸せなことだった。決勝戦終了後、喜びのコメントを聞くためにサブ道場にいる先生に近づくと、どちらかともなくガッチリと抱擁を交わしたのを覚えている。「あれ、公平な立場の取材者としてこの行動はいいのかな?」と思ったのはほんの数秒間のこと。「やったぞーっ!」という先生の声を聞いたらそれもどうでもよくなった。自分自身、過去に選手として日本一を目指したことはあるけれど、力足らずで叶えることはできず。便乗も甚だしいし立場も違うが、ある意味自分の夢が叶った瞬間でもあった。

 つねづね「『剣道日本』に育ててもらった」と言ってくれる髙倉先生は、今現在でも他の媒体の取材を断ることが多いようだ。「そんなに義理立てしなくていいのに」と思う反面、先生らしいなと思いつい笑ってしまう。

(おわり)

「剣道日本」2019年6月号

付録DVDには、髙倉先生の最新!剣道教室を収録。 先生の新しいヘアスタイルも要チェックだ!

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