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「自然体」とは柔軟性にあふれた 円くて最強の身構え・気構えである(その1)   談・山口 香(筑波大学大学院 人間総合科学研究科 教授)

「自然体」──。武道・スポーツ関係者の間では、誰もが憧れ、目標とする境地のひとつとして好んで使われる機会の多い言葉だ。おそらくは、戦いにおいて重要な要件となる「平常心」や「不動心」などの極意にも相通じるところがあるからであろう。一方で、それは人間的な魅力を表わす“代名詞”としても、一般の日常会話などでもたびたび耳にする。ところが、その本義については専門家も一般人も実はよくわからないまま、イメージのよさだけで口にしていることが多いのではないか。

 そこで、かつては“女姿三四郎”の異名をとり、全日本柔道体重別選手権10連覇、第3回世界柔道選手権(1984年)では日本女子として初優勝、さらにソウル・オリンピック(1988年)銅メダリストとなり、その後はアスリートから研究者の道へと転身した山口香氏(筑波大学教授)に「自然体」の謎について解き明かしていただいた。すると、その謎が氷解してくるにしたがって、相手が自然体であれば、こちらもまた自然体に引き込まれるものだという“妙”を感じることができた清々しいインタビューとなった。

自然体と不自然体の分かれ目

──自然体とは、武道全般に共通する教えのひとつであり、なかでも柔道の場合には指導書にそれ専門の用語が登場するほどで、とくに厳しく説かれているとお聞きしています。いかなる者が、どんなところからかかってきても、いつでも瞬時に対応できる身構え・気構えの備わった体勢である、と。

山口 はい。柔道では初歩の段階で、まず「自然本体」という基本姿勢を教わります。すなわち、肩幅に両足を開いて、全身の力を適度に抜き、さらに両足のかかとに体重を均等にかけてまっすぐに立つ。いわゆる、この自然本体という形が攻撃・防御において、もっとも柔軟性にあふれた有効な立ち方、構え方である、と。そしてそれに伴って、右足一歩前の右自然体、左足一歩前の左自然体がある、とも。

──「適度に」というところが重要ですね。完全にリラックスするわけではなく、かといって必要以上に力みや気負いがなく、一切の予備知識にとらわれない初心の教え。だからこそ、その一方で自然体には永遠のテーマともなり得る深遠さも潜んでいるという……。

山口 例えば、極端に腰を引いたりするなどの防御に偏った姿勢というのは、初心者にしてみれば、それがもっとも安全かつ万全の方法であると本能的に身構えるかもしれないけれど、実はそこにこそ最大の弱点があります。とくに初心者の場合は、必要以上の力みや気負いといったものがその姿・形にありのままに投影されるものです(笑)。だからこそ、物事は自然体に始まらなければならない、と。そこがすべての始まりであり、そこから千変万化、縦横無尽の対応が育まれていくのではないかと思います。

──剣道でいえば、「一刀は万刀と化し、万刀は一刀に帰す」という教えにも共通するところがあるといえるかもしれません。つまり、「一刀」こそが自然体のベースである、と。

山口 私の理解としては、自然体とはみずからがリカバリーできる範囲内に収まっていることが条件になると考えています。要するに、足を前に出しすぎたり、腰を引きすぎてしまったり……、リカバリーできる限界を超えてしまったら、それはもう自然体ではなくなってしまうということ。何事も許容の範囲を超えてしまうと、対応力がどんどん狭まってしまうというわけです。1970年代に空前のテニスブームを起こした『エースをねらえ』(山本鈴美香)というスポーツ漫画に、手足を精一杯伸ばしてボールにくらいつく感動的なシーンがありました。でも、その体勢では次の一手にはもう対応できないんだ、と。

──言い換えれば、相手に自然体を崩されたともいえますね。

山口 本当に強い選手の動きは無理・無駄がなく美しいものです。柔道の試合において、以前は着装が乱れても、そのまま続行するケースが少なくありませんでした。しかし現在では、ルール改正によって柔道衣の乱れに対する罰則が新たに導入されたのをご存じでしょうか。試合中に柔道衣が乱れ、帯より外に上衣の裾(背部を含む)が出た場合、主審の「待て」から「始め」の間に、選手みずから素早く服装を直さなければなりません。でも、実は真に強い選手というのは、着装にも乱れはない。それは、自然体の範囲の中で戦っているからにほかなりません。今年8月に東京の日本武道館で開催された世界選手権では6試合すべてオール一本勝ちを収めた大野将平選手(旭化成)は、まさにその好例だといえるでしょう。つまり、自身は崩れず相手を崩しているということの証しでもあるのです。

──戦いにおいて、自然体がいかに重要であるかがよくわかるエピソードですね。

山口 戦いとは相手を不自然な状態にする。つまりアンナチュラルにすること。そのためにも、自然体とは果たしてどういった感覚なのか、実際の動きのなかで味わってみることが大事です。そこで、私がよく引き合いに出すのが社交ダンスです。社交ダンスの場合、例えば、リードする相手が一歩前に出れば、みずからは一歩引く。あるいは相手が一歩下がれば、みずからは一歩前に。うっかり間違えてしまうと、相手の足を踏んづけてしまったり、逆に相手に踏んづけられたりする(笑)。それが自然体が崩れた状態。

──自然体は静止した状態であれば比較的容易に整えることができるけれども、動きが伴うと一瞬にして崩れてしまうものだからですね。動きのなかで生かされてこそ本物であるということ……。

山口 はい。だからこそ、互いに自然体を心がけて戦う試合には感動があるのでしょう。なぜなら、自然体には正々堂々という精神が宿っているから。ひいてはそれが昇華されてくることによって名勝負が生まれるのではないしょうか。一方で、勝負には互いにアンナチュラルの状態における戦いにあっては、残念ながら粗野粗暴という闘争に陥りかねないという、もうひとつの側面も秘めている。剣道も同じではないでしょうか。

(その2につづく)

取材・文=光成耕司 

この記事は、剣道日本2019年12月号特集「自然体」に掲載されたものです。12月号の詳細はこちら。

https://kendonippon.official.ec/items/24213423

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