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魂は在野にあり 剣道日本9月号より(前編)

若手八段対談

魂は在野にあり

『剣道日本9月号』掲載

取材◆岡井博史 
撮影◆窪田正仁 
撮影協力◆大正大学、池袋和風スポーツバー「残心 ZANS H IN」



若林耕多(埼玉)
(わかばやしこうた)1970年生まれ。蓮田高校(埼玉)を卒業後、東武鉄道(株)に入社。出身の鷲宮剣道クラブで少年指導に携わりつつ、実業団大会にも参戦している。
本年(2019年)5月に剣道八段に合格




東倉雄三(神奈川)
(とうくらゆうぞう) 1968年生まれ。平塚江南高校(神奈川)から同志社大学へと進学。大学卒業後、ソニー(株)に入社。海外駐在を経験し、中国を中心としたアジア各地の剣道普及に貢献する。2018年5月に自身初受審にして剣道八段を取得。
現在、ソニー剣道部部長、厚木市剣道連盟理事を務めている

民間企業に身を置きながらも日本最難関の八段審査に合格した2人。
東倉雄三さんは2018年5月に初受審にて合格。
若林耕多さんは今年(2019年)5月に5回目の審査で合格した。
若手八段にして、実業団剣士でもある2人が、竹刀を交え、そして語り合う。



──本日は東倉さんからの強い希望により、若林さんとの稽古、そして対談が実現しました。お2人は今日が初対面ですね。

東倉 はい、若林さんが八段に合格されたという話をうかがって、僕が勝手に親しい存在だと思ったんです。今まで若林さんのことは存じ上げなかったのですが、話を聞いてみれば年齢もそれほど離れていなくて、どうも一般企業の方らしい、と。最初、僕は若林さんは3回目の審査で合格されたと聞いていたんですが、でも実際は5回目なんですよね?

若林 はい、5回目です。46歳から受け始めて、合格までは2年半かかりました。

東倉 それを聞いて、なおさらスゴいと思った。これはホンモノだ、と。

若林 東倉先生は一発合格なんですから、先生のほうがホンモノですよ(笑)。

東倉 いやいや、僕は本当に何もわからないまま──そう言うとがんばって受審を続けていらっしゃる方々には失礼な話になってしまうんですけど──でも本当に自分としては思わぬかたちで合格してしまったので、そこから一気に世界が変わってしまったところがあるんです。だから若林さんの噂をうかがって、もう僕からの一方的な興味でぜひお話をさせていただきたい、と。

若林 私のほうはそういうお話をいただいて、はじめはもうビックリしてしまって。埼玉県の田舎の世間の狭い人間ですから、失礼ながら東倉先生のことはお名前くらいしか知らなくて、先生と面識のある人間に話を聞いてみたんです。すると、世界を駆け回られて剣道をされているスゴい方だと。そんな方に指名していただくなんて嬉しい反面、本当におこがましいことじゃないかとも感じました。

東倉 とんでもない。実は大変失礼な話なんだけど、同じ民間の剣士で、なおかつこれといった試合実績もない者同士。八段審査においても、ダークホース同士だったかなと。 

若林 私なんかダークホースにもならない(笑)。無名中の無名ですからね。

──読者の方のために、まずはお2人の経歴から紹介しましょう。お2人とも実業団大会にも参戦している企業に勤務されています。東倉さんはソニービジネスソリューション(株)に出向しており、お仕事の都合上、海外赴任の経験も豊富。現在はソニー剣道部部長もお務めです。最高位の八段審査には2018年に初受審で合格。一方の若林さんは東武鉄道(株)にお勤めで、埼玉県を拠点に稽古に励まれつつ、今年5月の審査で48歳の若さで合格されました。

若林 世界で活躍される東倉先生とは正反対で、私の稽古場のメインとなるのは、剣道を始めた頃からずっと変わらず、埼玉県久喜市で活動している鷲宮剣道クラブという道場です。それ以外は縁のあるところに出稽古にお邪魔させていただくという感じで稽古を積んでいます。会社は実業団大会には参戦していますが、剣道部としての稽古は少なくて部員個人の努力に任されている環境。当然大会に出ても序盤戦敗退がほとんどです(笑)。

東倉 僕はもともとは和歌山県の出身なのですが、家族の仕事の都合で引越しを繰り返したいわゆる転勤族。神奈川県の高校に通い、大学時代は京都で過ごしました。就職してみると今度は自分の仕事で海外赴任なども多く、外国で稽古を続けてきました。ただ、僕にとって海外での剣道の経験は非常に貴重なもので、日本から著名な先生がいらした時などには通訳などの役目を任されることが多かったんです。日本で剣道をやっていたらおそらくお会いすることもできないような先生方と身近に接することができて、自分にとっては刺激的な体験でした。

──東倉さんは中国のナショナルチームヘッドコーチを務めた経験などもおありですが、 若林さんは謎が多い人物です(笑)。

若林 それは当然のことです(笑)。剣道は小学校2年生からはじめました。もともとは喘息持ちの虚弱体質な子どもだったので、親としては体を強くするために何か運動をさせたかったようで。はじめは野球をさせようとしたようなのですが、近くの野球クラブが朝の5時からランニングをするような厳しいチームで「この子にはとてもムリだ」と。そこで剣道ならば稽古は朝の9時半からだし、走ったりもしないからいいだろうということで、8歳の時に鷲宮剣道クラブに入会しました。高校は埼玉県立蓮田高校(現・蓮田松韻高校)というところへ進学しました。もちろん強豪校ではなくて、県大会で2回戦に進もうものならもうお祭り騒ぎなレベルでした。東武鉄道には高校卒業後に入社しました。当時は会社も剣道部に力を入れていて、民営鉄道大会というローカルな大会では活躍していたんです。だから私も、剣道ができる職場なんだと憧れて入社しました。しかし、その後はなかなか強化とはいかずに現在に至ります。なにぶん選手層が薄いものですから、私は八段に合格する直前まで大将で出場していて。戦う相手は20代の選手たちですから、まあ負けっぱなしですよ(笑)。

東倉 それは僕もまったく同じ(笑)。関東実業団大会は6月にあるじゃないですか。八段審査に合格した年、私はチームの監督を務めていて、選手がいないものだから補欠にも登録していたんです。そうしたらエントリーが終わった後に先鋒を務める予定だった部員が仕事の都合で出場できない、と。だから僕が先鋒で出る予定でいたんですよ。ところが大会前の5月に八段に合格。僕自身はそれでも出場する気満々でいたのですが、大会の規定で八段は出場できない、と。 我々も4人では出場したくないので慌てて関東実業団連盟に相談したところ、前代未聞です、って(笑)。2週間のうちに誰か代わりの選手を探すようにという特例措置をいただきましたよ。

若林 私も通っている道場などでは八段に合格したことを「スゴいな」と誉めてもらえるのに、会社では剣道部の仲間たちから「えーっ、受かっちゃったんですか? 選手どうしよう……」って言われました(笑)。


興奮と感動の八段審査
感謝の心を持って、準備は万全に

若林 私は2018年5月の審査会で初めて二次審査まで進ませていただいたんです。あの時の会場の空気感と言うんでしょうか、緊張とはまた違った興奮を味わいましたね。まず一次審査と二次審査の審査会場の広さが違うじゃないですか。二次審査となると試合場よりも広い空間で、しかも会場中から「この中の誰が新八段になるのか?」という視線が注がれて。緊張もしていたのかもしれませんが、それを上回る興奮がありました、「俺なんかがここで剣道をしていいの?」という。

東倉 実は僕の場合は審査に受かるつもりで行っていなかったんです。僕なんて、「今後受審するにあたって、なにか役に立つ経験を」というくらいの気持ちで審査に臨んでいました。

若林 それがスゴいんですよ(笑)。

東倉 いやいや、合格なんてとんでもないことですから、僕にとっては現実的な目標ではなかった。ただし、記念受験のような冷やかしの気持ちではなかったですよ。僕の中での八段審査に向けての目標というものは明確にあって、それは「一生のうちで1回でもいいから二次審査を体験したい」ということでした。剣友たちと「やっぱり八段は難しいね」「でも東倉さんって前に1回二次審査まで行きましたよね?」とか、そういう会話ができたらきっと自分の剣道人生は楽しいものになるだろうなって。八段の二次審査に進むなんて本当にスゴいことですからね。そこまで進むことができれば、僕の剣道人生のゴールとまでは言わないけれど、非常に近いところまでたどり着けたという満足感はあるだろうと想像していたんです。それが1回目の受審で二次審査まで進めたんですから、もうその時点で充分なほどの満足感がありましたよ。若林さん、二次審査となると審査員の先生が9人並ぶでしょう?

若林 はい、とても有名な先生方がズラリと。

東倉 そう、全員が本当に有名な先生ばかり。この先生方が2分間の立合を2回、合計4分間も僕の剣道を見てくれるんだなって、そこに言いしれない感動を覚えました。僕にとってはそれがすべてでした。でも、これって今思えば若林さんの気持ちと同じですね。

若林 まったく同じです。でも、私は、本当に本当に生意気な話だと覚悟しながら言わせていただくと、私は審査は毎回合格するつもりで受審していたんです。審査に向けては、合格者を発表するあの大きな紙に自分の番号が書いてある、という映像をつねにイメージしていたんです。ただし、すごく矛盾した言い方になってしまうのですが、審査本番では「がんばらない」ように努めていました。なぜなら審査本番でがんばろうとするのはたぶんダメだから。審査は普段どおりで、そこまでにどれだけがんばれるか。それについては相当な稽古を積んできたという自信はあります。

──若林さんは、鉄道会社の保線の部署でお勤めと聞きました。日勤でありながら、鉄道保線の現場立ち会いで夜勤もある環境だと。

若林 はい、だから稽古は日勤と夜勤の間を縫って稽古をして、まあ絶対にオススメはできませんが、寝ないで稽古をすることもあります。

──なぜそこまでがんばれたんでしょう?

若林 私は、試合なんてまったく勝ってきていない人間です。でも、師匠や仲間がそんな私といっしょに稽古してくれて、「今度の審査、がんばれよ」って言ってくれる。だから私はまず受審することにも誇りを持ちたい。最高位の八段だから、というのではなく、五段でも初段でも、受けに行く、ということはスゴいことなんだと。皆さんが応援してくれるのだから、審査までの準備を万全にしておくのは当たり前のことですし、それができていないのは周りの方にも失礼だと感じていました。

東倉 若林さん、普段の稽古量は?

若林 基本的に週に4回です。年間で言えば200回。

東倉 それはスゴい。我々のような会社員でそれは相当な数です。僕の目標は年間100回で、つまりは週に2回は稽古しなければならない。だから休日の土曜、日曜の稽古は絶対に逃せないですよ。

若林 でも、稽古量の少なさは我々民間人の強みでもあると思います。1回の稽古に対する思いが違うし、1時間の稽古でも絶対に上手になってやろうと思っていますから。モノの考え方にしても、逃げと攻めがあると思うんです。恵まれた環境の中で審査に落ちてしまったらそれは挫折にもなるでしょうが、私たちは受からないのが当たり前ですから攻めるしかありません。

東倉 受かったほうが不思議(笑)。その鷲宮剣道クラブではやはり少年指導が中心に?

若林 もちろんそうです。私には、例えば毎回すばらしい範士の先生方に稽古をお願いできるような環境はありません。でも、小学生たちから学べることって実はとても多いんです。ひとつのいいきっかけとなったのは、例えば子どもたちに対して「大きな声を出せ」って指導するじゃないですか。どうしたらもっと声が出るのかなと悩んだ時、まずはこちらが「ウワーッ!」と全力で気合を出すんです。そうすると子どもたちも、言葉で説明しなくても自然と大きな声が出せるんです。こういう経験からも合気というものが学べたような気がします。

東倉 すばらしいね。

若林 以前、中堅剣士講習会に参加した時に大阪府警の石塚美文先生がおっしゃっていたのが「言うなら範を示せ」ということ。その言葉がずっと染み付いて頭から離れないんです。

──八段合格に向けての準備はどのようにされてきましたか?

若林 私は大きくふたつのことを軸に稽古を積んできました。ひとつは「力を抜くこと」、もうひとつは「実践すること」です。初めて八段審査を受けて不合格となった時、自分に何が足りないのかを考えました。私自身、もともと柔らかい剣道をされる方に魅力を感じるんですが、自分の審査を振り返ってみるとやはり力みがあったように感じました。それ以降、日頃の稽古から「いかに力を抜くか」ということを意識して取り組んできました。もうひとつの「実践すること」というのは、人から指摘してもらったことを素直に取り入れることです。段位が高くなればなるほど、意外と人からの指摘にも返事するだけで済ませてしまうことが多いように思うんです。でも先生や仲間たちが言ってくれることというのは、その人のためを思って言ってくれることなので、間違いであるはずはない。結果的にどうなるかとか、余計なことは考えず、言われたことはとりあえずやってみようと。

東倉 毎週水曜日に行なう稽古というのは?

若林 栄光武道具(株)の間所義明先生(錬士七段)と伊田テクノス(株)の橋本桂一先生(教士七段)との稽古ですね。もともと間所先生とは地域の大会などで顔見知りで、互いの稽古や考え方を話し合ううちに、一緒に稽古をということになったんです。内容は基本稽古が中心で、面打ちや切り返しだけで2時間過ぎることもありましたし、素振りや「木刀による基本技稽古法」も徹底してやり込んで、それをどのように実戦に活かすのかを研究しました。はじめは間所先生と2人でやっていた稽古に橋本先生も参加してくれるようになって、もう1年半ほど経ちますか。

東倉 それはスゴいね。いい変化はありましたか?

若林 私の剣道の軸を太く、そしてたくましいものにしてくれました。本当にありがたいのが、例えば東倉先生はもちろんですが、間所先生も橋本先生も私なんかよりも住む世界が広くて、慕う人間も多い。それなのに彼らはまったく私の考えに疑いを抱くことなくずっと稽古に付き合ってくれたんです。とくに間所先生とは長い付き合いですが、彼とはいっしょに自分を高めてきたという実感があります。彼はうらやましいほどに吸収力があるから、彼自身の成長もスゴイです。橋本先生は全日本選手権などで活躍するスター選手。毎回の稽古で本当にいい刺激をいただいています。

― 後編に続く ―


表紙 玉利 嘉章 範士九段

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