若手八段対談
魂は在野にあり
『剣道日本9月号』より(後編)
民間企業に身を置きながらも日本最難関の八段審査に合格した2人。
東倉雄三さんは2018年5月に初受審にて合格。
若林耕多さんは今年(2019年)5月に5回目の審査で合格した。
若手八段にして、実業団剣士でもある2人が、竹刀を交え、そして語り合う。
取材◆岡井博史
撮影◆窪田正仁
撮影協力◆大正大学、池袋和風スポーツバー「残心 ZANS H IN」
最難関に挑むモチベーションは
ホームタウンへの愛情
──近年こそ民間の八段合格者も生まれていますが、それでもやはり狭き門。いわば「専門家のもの」というイメージが強い中、なぜ挑戦を続けてこられたのでしょうか?
若林 私は追うべき師匠の背中があったからですね。平成22年に鷲宮剣道クラブの加庭栄之助先生が八段に合格されたんです。私が入会した当時は加庭先生はまだ23、24歳。それから40年ですから、もう奥様より付き合いが長い(笑)。私は自称一番弟子なのですが、先生が八段を合格された時に「耕多も続けよ」と声をかけてくださって、ずっと稽古をつけていただいたんです。先生は瓦屋さんを営まれていて、私たちと同じ民間の剣士。その師匠が超えられないと言われる壁を超えた。そんな姿を見てきていますから。先生が合格された時は本当にうれしかった。当日、日本武道館で受審した先生からメールが届いて、すぐに返信しましたよ。「先生、疲れているでしょうけどすぐに帰って来てください」って。その日、居酒屋で先生に抱きついて泣きながら「やった! やった!」と2人で喜んで。先生はその後、やはり八段という段位にふさわしい格のようなものを備えられたのですが、先生が変わったのはその1点だけ。気さくで腰の低い人柄は今も変わることはないんです。だって剣道クラブの合宿中、子どもたちのコップを洗っているんですよ。私のほうがびっくりして「何をやっているんですか!」って。でも先生は「ヒマがあるんだからいいじゃん」と(笑)。
東倉 今、僕は若林さんの話を聞いていて、蘇ってきた記憶があるんです。僕は八段審査こそ無欲で受けたけれど、七段審査についてはそれこそ若林さんのようにどん欲に、絶対に受かりたいという気持ちが強かったんです。当時、僕は北京に赴任していました。北京には七段はおらず、あの土地の剣道はまだ成熟していない黎明期。そんな状況の中、六段だった僕は地域の愛好家と密にコミュニケーションを取り合って、北京の剣道の発展を支えているという自負がありました。そんな時にふと脳裏をよぎったのが、ここにもし七段の方が指導に来られたらどうなるだろうと。剣道界においてはやはり段位の上下については厳格な部分がある。その方が素晴らしい方ならばいいけれど、もしも我が物顔で振る舞うような方だったら俺はどうするんだろうって不安になったんですよ。
若林 分かります、すごくよく分かります。
東倉 僕は駐在員ですからどうせいずれは日本に帰る身です。でも「ここは俺のホームタウンなんだ! 俺はこの北京にいる間に絶対に七段を取るんだ!」って、そんな強い思いがあって、結果的にそれは実現したんです。そういう意味では若林さんと同じですよね。ホームタウンへの強い思いというか。まあ、僕の場合は八段の時にはそんな気持ちはなくなっていたんだけど(笑)。
若林 いえ、それは違うと思います。きっと東倉先生のその気持はまったく消えたわけじゃないです。ずっと残ったまま、もうご自身の身体に溶け込んでいたと思うんです。だから、私のようにあえて八段を強く意識しなくても、自然体のまま審査で表現されていたんだと思います。
東倉 ありがとう。たしかに僕は「二次に行ければいい」という気持ちで八段審査に臨んだんだけど、実は過去に3年間ほど二次審査の最後まで見ていた経験があるんです。母校が同志社大学ですから、京都はある意味半分ホームタウン。毎年5月3日に大学のOB稽古会があるので、休暇を利用してスケジュールを組んで審査を眺めていました。その経験から二次審査の独特な空気感は分かってはいたし、身近な人たちが審査を受ける姿を見てきている。自分が合格するかどうかはともかく、そこまで遠い世界の話と感じていなかったのも事実です。
八段はゴールではなくスタート
剣道界へどう還元するか
東倉 今日は稽古もさせていただいたけれど、やっぱり地が違う(笑)。最後は私が小手を打って、若林さんは「まいりました」と言ってくれたけれど、いやいや、結局全部先を取られました。これは決しておだてているわけではなくて、打たれるこちらも気持ちよく感じるやられ方なんですよ。そこじゃないだろう、というところで打たれてもこちらは「まだまだ」という思いがあるんだけど、「参った」というところをすべて打たれてしまった。だから本当に清々しいですよ。僕は大体面ばかり打つんだけど今日は小手にしか行けなかったなあ。だからもう1回やりたい(笑)。
若林 そう言ってくださってうれしいけれど、それはすべて東倉先生のおかげなんです。私だってお会いして稽古をする前までは「打ってやろう」とか「打たれたくない」とかそういう雑念がありました。でもパッと構え合った時、東倉先生からはまったくそんな空気が感じられなかった。だからすぐに「あ、これはダメだ。全部さらけ出すしかない」ってそう思ったんです。これだけ腹を割った稽古ができるなんてなかなかないこと。2回目、3回目の稽古であればあるかもしれないけれど、初めて稽古をお願いしてそれができるなんて本当にないことです。私のほうこそもう1回お願いしたいです。
東倉 最後に、僕が若林さんとお会いして話したかったのは、「この後どうしていきましょうか? 」ということなんです。自分のための剣道がまず1番だとしても、いただいたものは還元していかなければいけないと思うんです。剣道を選び、何かしらを得ようと努力している方々が世界中にいる。そういう方々に応えなければいけないんじゃないかなと。
若林 おっしゃるとおりです。これからは自分の剣道をどう高めていくのか、そしていただいた八段をどう還元するのか、という2本の柱を軸に生きていかなければならないと考えています。きっと明確な答えは出ないのでしょうが、それでも考えながら進んでいくことが正解なのかなと。生意気ですが、八段はゴールではなくスタートというとらえ方でいいのかなと思っているところです。おぼろげなイメージなのですが、私の目指す八段の理想像は、みんなにとって「身近な存在である」こと。ずっと子どもたちや仲間たちの近くにいて剣道をしていきたいんです。私には八段をいただいたことを還元する責任こそあっても、誇示する必要はないと思っています。だからもし「耕多君、ちょっと切り返し付き合って」と言われれば、それはもう喜んで駆けつけます。
東倉 僕もまったく同じ気持ち。僕はフェイスブックをやっているのですが、そこでの自分のキャッチコピーは「庶民派八段」だから。
若林 最高ですね。私は剣道の道場外はもちろん、道場内でもそうでありたいんです。今、間所先生や橋本先生との稽古では、私は必ず1番最初に切り返しをするんですが、それは、八段だからあえて謙虚な姿勢で、という高尚な気持ちからではなく、「ハイ! 俺がいちばーん」という一番乗りの気持ち(笑)。そういう気持ちはこれからもずっと持っていたいですよね。
―了―
若林耕多(埼玉)
(わかばやしこうた)1970年生まれ。蓮田高校(埼玉)を卒業後、東武鉄道(株)に入社。出身の鷲宮剣道クラブで少年指導に携わりつつ、実業団大会にも参戦している。
本年(2019年)5月に剣道八段に合格
東倉雄三(神奈川)
(とうくらゆうぞう)1968年生まれ。平塚江南高校(神奈川)から同志社大学へと進学。大学卒業後、ソニー(株)に入社。海外駐在を経験し、中国を中心としたアジア各地の剣道普及に貢献する。2018年5月に自身初受審にして剣道八段を取得。
現在、ソニー剣道部部長、厚木市剣道連盟理事を務めている
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