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惠土孝吉氏の思い(その3)

惠土孝吉氏の思い(その3)

中京大学、東京大学、金沢大学で多くの学生を指導し、4月に新著を上梓した惠土孝吉氏。

本誌の最新号(7月号)では、惠土氏の新著編集に携わるなど、長年にわたって交流を続けてきた鈴木智也氏(元本誌編集長)が、氏の思いやエピソードを4ページにわたり綴っております。

惠土氏が剣道や剣道界への思いについてインタビューをした記事が、1993年12月号「インタビュー・剣士の矜持」に掲載されていました。今回はその記事を特別に公開いたします。その最後の記事になります。

剣道の良さは「思いやり」の心だ
自分を知り相手を知らなければ勝てない(その3)

(文 鈴木智也)

 全日本選手権の予選には40代半ばまで出場していた。20代の頃、かつての選手権者である40代の榊原正氏や鈴木守治氏がまだ愛知県予選に出場しており、それが励みになったからだという。しかし、現在は選手権予選に限らず、試合に出ることをやめてしまっている。六段を取った後は段位審査も受けていない。

 いくつの時だったか教職員大会に出たら、何本打っても取ってくれないんです。審判のレベルの低さにがっかりして、こんな下手な審判ではやってられないと思ったんです。「気剣体一致」「刃筋正しく」という有効打突の条件通りにしっかり打っても、品がない、風格がないといった、わけのわからないところで判定している。小手胴の連続技は品格がない、とか。

 そこに隙があったから打ったんです。隙があることを教えたのだから、相手にとっては反省する材料にもなるんです。

 最近の審判は打った側の動作のみに目がいってしまっている。打ち方がよくないから一本ではない、と審判は言いますが、それではそんな打ち方で打たれた相手はどうなんでしょう。宮崎君にしてもタメがないとか言われるが、その打ち方で打たれた選手はそれ以下ではないでしょうか。それを防ぐところに巧みさが生まれるのだと思います。

 それで一本にならないと、打たれたほうは隙があったのに何も反省しないことになる。それがおごりにもなってしまうんです。全日本選手権にしても、とにかく有効打突の条件に適った打突をきちんと取ってさえいれば問題はないはずです。

 僕が審判がついて勝敗を決めるような試合に出ることはもうないでしょう。自分で取った、やられたの区別はできるから、審判がつく必要性がないと思う。それこそ精神を修練する武道的考えに行き着く道だと思います。

 段位についてはかなり謙虚にとらえていました。三段を受ける高校の頃は自分に実力がないと見ていたし、六段を取る時は、六段を取るなら七段の実力がなければいけないと考えていた。

 そこからは別に取らなくても実カナンバー1という自負はあった。三橋(秀三)先生の影響が多少はあったかもしれない。段位は奨励の手段でアマチュアのためにあり、専門家である僕はそのような具体的な目標がなくても真剣に剣道に取り組める。実績も残したから改めて取る必要はない、という自負はあります。

 そのかわり、段がないからそれ以上の稽古をやらないと認められない。七段くらいの力だと思えばそれだけの稽古をしなければいけないでしょう。今でも勝負に関しては同年代ではそう簡単には負けないと思っています。今は当てっこのような剣道をしていますが、それでもいい。そういう過程を経て、行き着くところへ行きたいと思っているから、今それを無理に修正する気にはなりません。

 恵士氏の言葉のはしばしから、剣道を愛する心が伝わってくる。そして、自分の人生をかけて剣道を深く見つめてきた、という自負が感じられるのだ。

 剣道のよさを一言で言うなら「思いやり」だと思います。技を競いあっていても、同じ剣道を愛する者同士が戦っているのだから、相手が敵というわけではない。そこには勝者としての敗者に対する思いやりがなければならない。ひとりよがりに勝ったからいいというものではない。有効打突の条件の中に、残心あることとあります。残心というのもそういうことでしょう。

 剣道によって、いま相手が何を考えているのか、下がろうとしているのか技を出そうとしているのか、を考える習懺が身につく。どんなに自らの技術を高めても相手のことを考えなければ試合で勝てるはずはないんです。それが、剣道以外の生活でも相手の立場を考える習慣となるのではないでしょうか。そういう心を養うところが剣道のいいところです。

 だからこそ、試合に勝つためにも精神面の修練は絶対積まなければならない。それが武道ということにもつながってきます。指導する上で私はいつも「勝たないかん」と言っています。これは相手に勝つだけでなく、まず自分に勝つこと、精神的な修練も含んでいるんです。

 これからの剣道界は学連が引っ張っていこうという気持ちで活動しています。僕個人でも、連盟としても全剣連に対して意見を述べてきましたが、改善されてきた部分も多く、そろそろ実践の段階だと思うんです。

 学連のOBには活気がありますよ。活発に意見が出ます。稽古会や懇親会に行くと、並ぶのは東西の区別があるだけであとは全部平等なんです。八段も九段も上座に座らせない。審判講習会にしても七段の川上(岑志)先輩がすべての指揮を取り、八段で「今の面はなぜ取らないのだ」と言われて侃侃諤諤(かんかんがくがく)やっている。とてもいばってなどいられないんです。

 いま、学連で新しい大会を計画しているんです。オープン参加にして二刀の部とか、新たな試みを考えているのですが、学生主体というよりもOBが半分くらい関わっていくようにしたいと思っている。まだ、学生が、やろう、と言う気にやっとなったばかりなので、早くて再来年ぐらいになりそうですが。

 四六時中剣道のことを考えてきた、という自負はありますね。いくら好きでも、時にはいやになることもある。私も何度もそういうことがありました。それでは剣道がなくなったら何が残るのかと問いかけると何もない。いい先生に恵まれたこともあり、私個人としてよく続いたとも思います。  学生と同じ気持ちでいたいとも思うし、もう少し大学の先生らしくしたほうがいい、と思うこともあります。学生と一緒にランニングしながら、ちょっとみっともないかなあとも思いますが、剣道の技術だけではなく、みんなが同じ気持ちでやっているのだから、後ろからでもついていっていればいい、と思って走り続けるんです。

(おわり)

著書紹介

夢剣士自伝(惠土孝吉著)全480ページにも及ぶ大作
剣道の科学的上達法(惠土孝吉著)2007年刊

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