(前回のつづき)
※この内容は2017年8月取材時のもので、エコソリューションズ社の社名は、2019年4月よりライフソリューションズ社へ変更。また、2018年6月より長榮氏は大阪府剣道連盟会長を務めている。
海外で学んだ
指導の難しさ
2000年には突然の辞令でインドネシアに赴任することになりました。赴任前研修で、どんな国かということは知ってはいたのですが、それでも行ってみると考え方や文化の違いに戸惑うことも多く、いい勉強になりました。私が剣道をしているのは他の会社の方にも知られていましたので、「ジャカルタでも剣道をしているよ」と教えてもらいました。赴任1年目で日本人学校のPTA会長になったのですが、剣道をしている場所がその日本人学校の体育館でした。
日本人だけで15人ぐらい稽古していて、七段が3人、六段は2人いました。インドネシア人が日本人よりはるかに多い。「結構たくさんおるな」とビックリしました。ほとんどが大人です。
ただ、当時は従業員の給料が3000円ぐらいでしたので、彼らは竹刀も買えない。だから私は日本に帰ったとき、竹刀を20〜30本買って、彼らに配りました。当然防具も買えないので、日本から中古防具を送ってもらいました。それでも全員に防具が行き渡るわけではなかったので、防具を着ける前にやめてしまった方もいました。そういう悩みがありました。
日本人学校での稽古は日曜日にあり、水曜日にはフィットネスセンターとかを借りていました。プラスチックの床です。日曜日は私が剣道を教えなければいけなかったのでまじめに行っていましたが、水曜日はどちらかというと有志稽古会のようなスタイルです。インドネシアは治安が悪いので街なかを歩けず、みんな車で移動します。なので、「なにか運動をしなければ」と、皆さんは土日にゴルフに行っていました。私は1日ゴルフをして1日剣道をして、という生活でした。
剣道を教えるのは難しい。右足のかかとのところに左足のつま先をそろえるという基本ひとつにしても、言葉が分からず、インドネシア語の先生に聞いていました。それからインドネシアの人はつま先が外に開いている。これは赤ちゃんのときにずっと母親に抱きかかえられてきたクセでついてしまっているようです。その状態で構えてはいけないといったことを一生懸命説明していました。
すでにアセアン大会という大会が開かれていましたが、インドネシアは防具を着けている人が少なかったのでこれには参加していませんでした。私が赴任して2年目か3年目かに初めて参加したのですが、案の定5カ国中最下位でした。そんなインドネシアも、2015年の世界大会には初出場を果たしました。赴任当時剣道をしていて、今も続けているというインドネシアの方が何人かいます。
勝っても負けても
剣道が楽しくなってきた
今、私の稽古は週1回です。地稽古だけでなく、基本打ちのときにも列に加わっています。最近のウチの稽古は縦の打ち込みが多いのですが、この歳だと後ろに走ることが難しいので、それは遠慮しています。
この歳になるともうしんどいですね。もともとあまりジッとしていない剣道なのですが、稽古が終わると膝とか肘が必ず痛くなります。ですので最大でも週2回かなと思っています。ゴルフも週1回やっていますから(笑)。
会社の稽古は週3回あり、どれかに出ようと心がけています。どうしても出られないときは、近所の道場に息子と孫が通っているので、そこに行っています。小さいときからずっと剣道をしてきましたので、なんとなく生活の一部みたいになっているんですね。海外出張などがあると稽古ができないわけですが、そうなるとなんとなく調子が悪いというか……。
最近は剣道が楽しくなりました。「楽しい」という表現がいいのか分かりませんが。若いときは「試合に勝たなければいけない」と思っていましたから、とくに高校生のときは稽古に行くのが嫌だなと思っていました。今も試合には出ますが「勝っても負けてもいい」と思えるようになっています。それではいけないのかもしれません(笑)。
今は、打っても打たれても、稽古が楽しいですね。健康のためにやっている側面もありますし、毎日剣道をしていないからそう思うのかもしれません。
剣道部員の子とはよく話をするのですが、よくよく考えてみたら、日常業務のなかで若い社員と話をする機会はそんなにないのです。だからこれは私にとっても貴重な機会です。話はあまり合いませんが(笑)。
最近の若い部員を見て私がひとつ思うのは、先輩後輩の関係が結構“馴れ馴れしいな”ということ(笑)。礼儀や言葉遣いはちゃんとしていますが、われわれから見たら友達付き合いのような感覚さえあります。昔の先輩はこわかったですから。(つづく)