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強さと楽しさをつなぐ 中大剣道部部長 中大赴任までの歩み(前編)

強さと楽しさをつなぐ 中大剣道部部長 中大赴任までの歩み(前編)

潮清孝
六段 中央⼤学商学部准教授

全⽇本学⽣優勝⼤会で⾒事連覇を果たした中央⼤学の新部⻑は40歳の新進気鋭の学者である。週に数回、学⽣に混じって基本打ちから稽古に参加する六段は、⽇本的経営を理論化し、33 歳にして学会賞を受賞した。中央大学に赴任することになったのは2015年。それまでの歩みを綴る。

取材・文・撮影 編集部

(うしおすみたか)昭和54年8月大阪府生まれ。同志社国際高校から京都大学に進学。ソニー株式会社や中京大学の勤務等を経て、2015年から中央大学商学部准教授となり、現在は同剣道部部長も務める。剣道六段。博士(経済学)。

⾃分がおもしろいと思わなければ”と気づいた⼤学時代

──若くして学会賞を受賞しているのに34歳で六段に合格されていると聞きましたが、剣道はどこで?

 ⼀度も体育会的な厳しい部活にはいたことはないです。剣道は、故郷の⼤阪府枚⽅市の中学校ではじめましたが、そのきっかけも思い出せないくらい。顧問の先⽣はお忙しくて、たまに来られる程度。部員はほぼ初⼼者。もちろん⼤会で勝った美しい思い出などあろうはずもなく。段審査にも落ち、剣道⼀級どまり。その後、英語が好きだったので同志社国際⾼校に進学。周りは帰国⼦⼥ばかりで、同級⽣はみんな初⼼者。3年次は主将でしたが、京都府⼤会で3回戦くらいまでいったのかな。高校1年で初段、⾼2で⼆段をとりましたが、それくらいの平凡な剣歴です。

──同志社国際⾼校卒業後、2002年に京都⼤学経済学部に進学されていますが、⼤学では体育会剣道部?

 いやー、1カ⽉ほど仮⼊部して体育会的なノリが合わなくてやめちゃいました。でも剣道は好きだったので、⼤学4年間は知⼈の伝⼿を頼り、同志社の剣道サークル(剣練会)に所属して続けました。週3回の稽古でしたが、⼀定レベル以上の選⼿と⽇常的に稽古したのはこれが最初です。サークルといっても強豪校出⾝者も多く、やるからには“勝つ”という精神をもって今も取り組んでいます。その⼀⽅で体育会的な無理強いはない。⼤学は違いましたが今でも剣練会の仲間とはつながりが続いています。このあたりで「⾃分がおもしろいと思わない限り、100%の⼒は発揮できない」という⼈⽣観をもったかなと思いますね。仲間にも助けられ、1年次で三段、卒業間際に四段を頂戴しました。

迷いに迷った⼤学院時代

──京都⼤学経済学部卒業後は京⼤⼤学院に進まれていますよね。もう学者⼀本という感じで?

 まったくそんなことはなくて、最初は公認会計⼠もいいかなと思って会計学のゼミに所属しました。結局試験に落ちて、就職活動もしていなかった。そんなとき、恩師であるゼミの先⽣から『潮くん、学者もいいぞ、君は⼤学院にいきなさい』と誘われて、あれよあれよと⼤学院試験を受けて5年間の博⼠課程(前期2年+後期3年)に進みました。

──⼤学院⽣活は想像もつかないです。

 ⼤学院⽣をやってみたらこれが⾯⽩くないのですよ。難しい学術書を読む毎⽇。剣道は京都武徳殿で週1回くらいですね、細々と続けました。⼤学院から離れたい⼀⼼で2年次には休学。親に頼み込んでニュージーランドに1年間私費留学したのです。ずっと関⻄で⽣まれて育ってきたから⼀度海外をみてみたいなとも思って。結果的にですが、この留学が私の⼈⽣観、ひいては、今の剣道観や国際交流活動に⼤きく影響を与えました。⾏ってよかった。

ニュージーランドで知った「主張してこそ」

──留学先はどうやって探したのですか?

 雑誌やインターネットを通して、⽇本⼈のいなさそうな、⽚⽥舎のローカルな⼤学(ポリテクニーク)を⾃分で⾒つけました。ニュージーランドでは現地の⼈たちと寮で共同⽣活で、カルチャーショックの連続でした。エアコンひとつとっても、全館⼀括空調なのに、ある⼈は暑いといって最低温度にする。すると別の⼈は寒いといって暖房マックスにする。1⽇中その繰り返し。私は何も⾔わず、それに合わせて上着を着たり脱いだりするだけ。我ながら⽇本⼈的だなーって。でも、授業なんかで私が困っていたりすると、知らない⼈でもすぐに声をかけてくれる。グループワークで⼀⼈になりそうなときも、いつも誰かが誘ってくれる。

 みんな、⾃分と他⼈の間に壁を作らないんだなって。授業はいつも半分くらいしか分からなくて不安だったから、本当に助かったし、うれしかった。やっぱり声をかけることは⼤事だし、主張することもそう。そうするなかで相⼿を理解することにもつながるし、救われる⼈もいるかもしれない。剣道は1年間お休みしましたが、すごく貴重な経験でした。

──ニュージーランドから帰国して今度こそ学業⼀本で?

「⾃分が⾯⽩いと思わないと⼒は発揮できない」という考えに⽴ちかえり、学問よりも外の世界に出たいと思うようになっていました。修⼠号(2年修了時に授与)だけとったら就職しよう、外の世界に出よう、と⼼の中で決めました。ただ、勇んでいろいろな会社を受けたんですが、ほとんど落ちてしまった。ろくに会社のことも調べず、⾃分のことばかり話して。留学での経験をはき違えていたのかも。このへんで「せっかくやるのだからきちんとやろう」と⼀念発起して、もう⼀度⾃分を⾒つめなおし、会社のこともしっかり調べたりして、なんとかソニーに拾ってもらえました。


(つづく)

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