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「攻防一体」は、仕事でも剣道でも   長榮周作(パナソニック株式会社 取締役会長)1

「攻防一体」は、仕事でも剣道でも   長榮周作(パナソニック株式会社 取締役会長)1

総売上高は7兆円を超え、全世界で約26万人の従業員を抱えているパナソニック(株)。
言わずと知れた巨大企業の会長を務めているのが、長榮周作氏である。
長榮会長は剣道教士七段を持ち、今も毎週稽古を積み重ねている。
企業トップとして、現在の日本の状況をどう考えているのか。
そして、剣道と仕事を両立する長榮会長が考える、剣道を仕事に活かすについて聞いた。

※この内容は2017年8月取材時のもので、エコソリューションズ社の社名は、2019年4月よりライフソリューションズ社へ変更。また、2018年6月より長榮氏は大阪府剣道連盟会長を務めている。


 私が入社したのは1972年です。当時は、「入社して3年間は使い物にならない。その間にいろいろなことを覚え、4年目になってから会社に貢献できるであろう」とよく言われていました。

 私は愛媛大学工学部の出身で、電気工学を学んでいました。もともと電気関係に興味があったわけではなく、親父が「これからは電気の時代だから」と言うので受験しただけです(笑)。当時は工学部の人気が高く、電気メーカー華やかなりし頃でした。

 私が大学3年だった1971年の2月、学長の熊谷三郎先生が亡くなられ、学葬が執り行なわれました。その学葬に、松下電器産業の松下幸之助創業者が来られました。当時は電気製品というとナショナルぐらいしかない。学葬での創業者の姿を見たことで、あこがれが強くなったことはたしかです。かなり後になって分かったのですが、熊谷先生は元パナソニックの研究所長を務めておられたのです。

 就職担当の先生に願書をもらい、松下電器の入社試験を受けたいという希望を伝えました。ところが、友達のひとりも松下電器を受験したいと言う。愛媛大学から松下電器の試験を受けられるのは一人だけだったので、先生からは、「君は松下電工のほうが向いているからそちらへ行ってはどうか」と言われて、松下電工に入ることになりました。これが結果的には正解だったのですが、当時は松下電工がどういう会社なのかはよく理解していませんでした。

 それから、会社のなかに剣道部があることも知りませんでした。たまたま剣道部があったから入ったのです。大学まで剣道を続けたのだから、就職をしても大阪の道場で剣道をしようと思って、防具は持ってきていました。それを見た先輩が「剣道をしているのか。ならば剣道部があるから」と言われて。ですから、まさか企業に入ってこんなに剣道をするとは思ってもいませんでした(笑)。

 当時の剣道部はさほど強くもなく人数も少なかったので、入社してすぐキャプテンになりました。私が入社した翌年に強い選手が一人、その次の年には二人入ってきました。それがきっかけとなって、1975年に初めて大阪府の大会に出場しまして、準優勝しました。そのときの相手は日立造船でした。次の大会でまた日立造船と決勝戦で当たりまして、そのときは勝って初優勝しました。そのあたりから「もっとがんばらなければ」という気概になり、3年後に近畿実業団大会に初めて出て、ここでも優勝しました。その当時になると部員も40名ほどになっていたと思います。

会社に入社して間もないころに撮影された1枚。 後列右が長榮氏

 稽古は週2回でしたが、時間を確保するのは大変でした。夜7時から稽古があって、稽古が終わってから必ず職場に戻って仕事をしていました。今そんなことをしたら怒られるかもしれませんが、もう40年以上前の話ですから。私は設計の仕事をしていたのですが、当時はCADシステムなどなく、ドラフター(製図台)を使って書いていました。稽古を終えて仕事に戻ると、手が震えてうまく図面が引けなかったことを覚えています。

 設計したものが商品になるには1年ぐらいかかります。それだけに、商品が誕生し、それが売れてくれればとてもうれしかったですね。

 剣道の選手を退いたのは32歳のときです。私の引退試合となった1982年(昭和57年)の全日本実業団大会でたまたま3位になりました。選手を退いてからすぐ監督になったと思います。

 今の剣道部員は、大阪府の大会をはじめとして全日本実業団大会、高知で開催されている勤労者大会などに出ていますし、国体や全日本選手権の予選に挑戦している者もいます。私たちのころは、せいぜい近畿実業団大会に出る程度。全日本実業団大会も5回か6回しか出ていません。
(つづく)

(ながえしゅうさく)昭和25年愛媛県松山市生まれ。愛媛大学工学部卒業後、松下電工株式会社に入社。その後、サンクス(株)社長、松下電工(平成20年からパナソニック電工に社名変更、平成24年にはパナソニック株式会社と吸収合併)社長等を歴任。平成25年6月、パナソニック株式会社代表取締役会長に就任し、現在同社取締役会長。(一財)日本経済団体連合会審議員会副議長、オリンピック・パラリンピック等推進委員会委員長等を務める。剣道においては高校時代にインターハイ出場、学生時代には中四国学生選手権で優勝2回・2位1回、社会人になってから全日本実業団大会3位等の成績を残し、現在は教士七段。2018年より大阪府剣道連盟会長。

執務室にて。後方のクローゼットは創業者・松下幸之助が使用していたものである

 

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