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新事業は“剣縁”で(大津慎一郎さん 神奈川・教士七段)

新事業は“剣縁”で(大津慎一郎さん 神奈川・教士七段)

かつて実業団大会で活躍をしていた大津慎一郎さんは、突如会社を辞め、まったく違う場に生活の拠点を移した。そして一昨年、地元川崎市に戻り、再び毛色の違う事業を始める。剣道でつながった縁がきっかけで始めた仕事が、今の自身を支えている。

「終活」という言葉を一度は聞いたことがあるだろう。しかし、その内容は多岐に渡る。葬儀のほかに相続や財産整理の問題もある。また、子息の立場になれば、あらかじめ親の介護について知っておけば気が少しラクになることもあろう。「もっと前に知っておけば良かった」と思う問題は、意外に多い。

 昨年、神奈川県川崎市にて創業した「ENBRIDGE(エンブリッジ)」という会社は、そうした「終活」に特化した事業を柱としている。ここの代表を務める大津慎一郎さんは、かつて実業団大会等の舞台で活躍した経験を持ち、現在も八段に挑戦するなど、熱心に稽古を続けている。その剣道が、事業を始めるにあたって大きな助けになったようだ。

イチからつくりあげることに
魅力を感じ

(記者)大津さんの経営する会社は川崎市の宿河原にありますが、ご出身もここなのですか。

(大津)はい。剣道は宿河原駅近くにある養心館で始めまして、今もそこに通っています。道場の稽古は月・水・金の夜と日曜日の午前です。土曜日には近くの知人の道場で稽古があります。母校の桐光学園高校では高段者の先生が何人か集まっての稽古会があるので、そこにお邪魔させていただくこともあります。もちろん、すべて出られるわけではなく、時間がつくれたときに稽古をしています。

(記者)桐光学園高校が母校なのですね。

(大津)私は高校の8期生なのですが、当時剣道部は1学年上の先輩がゼロ、3年生は3人しかいませんでした。私の学年は9人で、入学式の日に知ったのですが、同じ道場で小学生から鎬を削っていた幼なじみと、福岡から引っ越して来て中学時代に市内の大会で勝ち上がってきていた者が入学していまして「3人いればなんとか勝てる」という機運が高まったのです。2年生のときに1年生でやはり同じ道場の後輩が入学してきてくれたこともあり、関東大会に桐光学園として初出場を果たし、3年生では関東大会で3位になりました。

(記者)どうやって力をつけていったのですか。

(大津)入学したときの先輩やOBの先輩方と稽古するときは「絶対に叩かせない」という気持ちを出した生意気な1年生だったと思いますよ(笑)。
 顧問の小山則夫先生(現・教士八段)が合宿や遠征にもかなり連れて行ってくれました。日頃の稽古も高校だけではなく、川崎市役所、府中刑務所、国士舘大学の鶴川剣道部など。学校で稽古をしてから移動してもう一度稽古ということも多かったです。最近高校時代の仲間と話す機会があって、「オレたち、満員電車に乗った経験がないけどなんでだ」と誰かが言いまして、「そりゃそうだよ。朝早い時間から朝練があって、夜遅くまで稽古していたのだからラッシュにあうわけない」と(笑)。
「これだけやったのだから結果を出そうよ」という雰囲気はありました。ただ、今振り返れば、チームワークというよりは、みんな個人プレー。「オレが勝てばいいんだ」でしたね(笑)。

(記者)インターハイにも個人出場を果たして、大学は東海大学へ進学しました。卒業後は綜合警備保障(ALSOK)に入社しましたが。なぜこちらに。

(大津)学生時代には実績もなくお誘いをいただけるところもなかったですし、母校の高校に教育実習にも行き、教職員もいいなという思いもありましたが、神奈川県内は教職員が多く非常勤で正教員を目指すより、まだバブルのはじける前でしたし、大学の先輩方も実業団で活躍されていたので、一般企業に入りたいと会社回りをしていたのです。大学4年のときは網代忠宏先生(現・範士八段)のゼミでして、「就職活動はどんな感じだ? 」と尋ねられたその前日、たまたま別の警備会社を訪問していたので、その話をしたら「だったら綜合警備がいいよ。大卒の剣道部員を採用して部を強くしていくようだから」と言われたのです。「ならば、イチから部をつくりあげていくのかな」と、それは自分の性に合っていると思いました。

(記者)綜合警備は錦糸町に広い道場がありましたね。

(大津)ただ、私は勤務先が横浜でしたので、仕事を終えてから新横浜の道場で稽古していました。
 日頃の稽古量の確保が難しいぶん、会社側から支援をいただき、遠征に行かせていただきました。関東だけでなく、大阪府警や京都府警、愛知県警、天理大、大阪体育大へと。行けば当たり前のように警察官や学生たちと一緒に追い込みをやって……。「こっちは会社員なんだけど」(笑)と思いましたが楽しかった。学生のときより稽古していました(笑)。
 会社内では「いいよな。好きなことやりに行くことができて」と言われることもありましたから「いつか見てろ」と思いましたね。そのぶん、会社にいるときは一生懸命仕事をしましたが、自分たちがいないときにフォローしてくれているのですからそこは感謝しなければいけない。だからなおさら結果を出さなければいけなかったのです。
 当時は住友海上さんやNTTさん、富士ゼロックスさんが全盛のときで、なにがウチと違うのかをすごく研究しました。行き着いたのは、「一本への執念」。これが徹底できるようになってから、ウチも結果がついてきたと思います。

川崎市の養心館剣道道場にて

(このあと、会社を退職し、新たな歩みをすすめる話にうつります。そして、そこには剣道との縁が深く関わってくるのですが、その記事は、剣道日本9月号をぜひお手にとってご覧ください)


おおつ しんいちろう 昭和44年6月10日、神奈川県川崎市に生まれる。養心館剣道々場で剣道を始める。桐光学園高校から東海大学へ進学。卒業後、綜合警備保障(ALSOK)に入社し、実業団大会等で活躍。現在は新たな事業を興し、奮闘中。川崎市剣道連盟常任理事を務める。剣道教士七段

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