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動画有「2017年2月号記事より」道場主、必然の創造(前)

動画有「2017年2月号記事より」道場主、必然の創造(前)

『剣道日本』2017年2月号 特集「形を知り、剣道を楽しむ」より

山梨県・正心館道場の蓑輪勝館長が、オリジナルの型(形)をつくり、日々の稽古のなかに取り入れている話です。

文=月岡洋光、写真=窪田正仁

山梨県北杜市の正心館道場は、かつて野間道場で40年におよぶ修行を積んだ蓑輪勝(みのわまさる)氏が平成元年に創立した剣道場である。道場主として伝え残そうとしているのは、当然のことながら、野間道場の大家ら先賢の教えに準じた剣道だ。その蓑輪氏が、十年の年月をかけてみずから形を創造した。名付けて「正心館道場流儀『太刀筋一円』之型」。すでに門弟はもちろん、周辺地域の剣士や外国人剣士たちも、この“型”を面白がって行なっているという。話を聞けば、なるほど奥が深い。

「平成元年に道場を建てるにあたっては、道場としての特長を示したいという気持ちは当然持っていました」

 と語る蓑輪勝氏。小誌平成26年12月号の特集「修行でいこう」の中でも、氏はその具体的な方向性の数々を示してくれたが、ここで語っていただいたのは、その一環として、道場主みずからが創造した「オリジナルの形」についてである。

正心館館長・蓑輪勝氏

相手を受け入れて勝つような
卑しさのない攻防の実現のために

 蓑輪氏は自身が編んだ形を「正心館道場流儀『太刀筋一円(たちすじいちえん)』之型」と命名した。通称「一円之型」(意図して「型」の文字が使われている)。大人から子どもまで広く正心館道場の門弟たちが実践するほか、周辺の道場のいくつかが、この形を日頃の稽古に取り入れている。極めつけは、ロシアの剣道愛好家たちの熱の入れようだ。縁あって正心館道場に足繁く通うロシア人剣士たちが「一円之型」をいたく気に入り、日本語、英語、ロシア語の三カ国語を駆使した解説本も上梓しているのである。

「一円之型」の完成までに、蓑輪氏は十年の歳月を費やしたという。会津藩に伝わる「一刀流溝口派左右転化出身之秘太刀(さゆうてんかでみのひたち)」を学び、鳥取藩に伝わった「神刀兌山流(しんとうださんりゅう)」と出会ったことが、蓑輪氏が独自の形の創造を求めるきっかけとなった。

「一刀流溝口派の『四方剣』は、上下の太刀筋、左右の太刀筋、左右斜めの太刀筋と四通りの太刀筋を基本としています。剣道を学ぶ者として、正確に刃筋を通すことは何よりも大事なこと。そのためには、身体に中心軸をつくり、手足を適正に動かし、無理、無駄を省いて柔軟かつ臨機応変に対応することができるような基礎的な備えを体に染み込ませる必要がある。そう考えたとき、『形で学ぶ』ことが最適と思い至ったのです」(蓑輪氏)

「形を学ぶ」のではなく、「形で学ぶ」。これは、正心館道場の根幹を成す姿勢であるといってもいい。形の動き方を覚えるのが主眼ではなく、大切な動きそのものを覚えるツールとして形を活かしているのである。同じように蓑輪氏は、「剣道を学ぶ」のではなく、「剣道で学ぶ」ことを正心館の姿勢として大切にしている。

「剣道の技術や心法を学ぶことはもちろん大事なことです。でも、剣道を行なう目的が技能を高めることだけでないことを、私は長く野間道場の大家たちと接した中で痛切に感じさせられてきました。大家たちは、実社会にも実生活にも剣道で修行してきた事々を活かしているようにうかがえたのです。一本を求める稽古に卑しさがないことが、平素の品の良さ、味わいの深さにもつながっているようでした。あるいは、思想、哲学、歴史、宗教、文化、芸術といったものを含めて『剣道』と捉えていたためか、日常のものの見方にも重みが感じられたのです。つまりは、『剣道を学ぶ』にとどまらず、『剣道で学ぶ』ことを実践されてきた方々こそが、一般社会の人々からも敬われるような剣道の大家たる所以だろうと思うのです」

「卑しさのない稽古」とは、自分主体に打っていくような一方通行の剣道ではなく、双方の良さを最大限に引き出したうえで勝負するような剣道であろう。蓑輪氏が独自の形の創造で目指したのも、「相手を受け入れて勝つ」ことの具現化だった。そうした考え方にたどりついたのは、蓑輪氏が歴史観というバックボーンを持っていたからでもある。

「新陰流の創始者である上泉信綱は、木剣による形稽古が主流だった時代に、袋竹刀を発明して稽古をした人物としても知られています。『便利な稽古刀』として重宝する一方、『心が伴わなければ害を及ぼす』と言っていたといいますから、今の時代にも当てはまる箴言(しんげん)のようにも聞こえます。その上泉が北条氏の城攻めに合った時のこと、彼は自分を含め、家臣全員を逃して誰も殺させませんでした。剣を磨けば磨くほど、人を巧みに斬るだけの剣術に疑問を感じ、人を活かすことの大切さを思っての行動だったのかも知れません。そうした考えを受け継いだ柳生宗矩が“活人剣(かつにんけん)”の思想にたどりつくわけですが、現代人が竹刀稽古や形稽古を行なうにあたっても、相手を力づくでねじ伏せるような“殺人刀(せつにんとう)”が、先人の意に反することを自覚する必要があると思うんです。相手を斬ることの矛盾は解決していないとしても、少なくとも『相手をギリギリまで受け入れる戦い方』に活人剣を見出すべきではないか、と。形稽古を行なう際には、そんなことを頭の隅においておくことを求めています。もちろん、竹刀での稽古や試合にもいえることです」

 形稽古というものが、刀の観念抜きにできないことは言うまでもない。真剣を思う、真剣なる心を伴わせることを、蓑輪氏は門人たちにも求めている。昭和42年から約40年にわたり野間道場で修行を積んだ蓑輪氏にしてみれば、竹刀剣道においてもそうした姿勢で稽古を求めることを、当たり前のように感じてきたに違いない。

「若い頃は別にしても、先生方の教えを受け続けることで自然に『刀』の意識は芽生えていきました。持田盛二先生は、『刀と思ってやりなさい』と言葉を残していますし、師の望月正房先生からは『相手を使いなさい』とご指導をいただきました。恩師の森島健男先生の一貫した教えは『初太刀一本』。いずれも刀の哲学に基づく金言と受け止めましたし、そうした野間道場で学んだ剣道こそが私の剣道の基準であって、それをどう伝え残していくかが、道場を建てるにあたってのテーマだったんです」

 冒頭の発言のように、蓑輪氏は「道場としての特長」を打ち出したいと考えてきた。合わせて蓑輪氏は、こうも語っている。

「昔の人が独自に形をつくってきたように、現代人も独自の形をつくってもいいのではないか、という発想はありました。現代剣道は日本剣道形をひとつの特長としており、それは我々も日々の稽古の中で学んできています。ただ、私の中には、道場が独自に特長的なものを示さなければ、道場としての役割を果たせないということを強く思ってきたんです」  野間道場が市井の剣士たちに剣道修行のあり方を示してきたように、長い歴史でみても、剣の道に携わる個々人の指針は、修行の場そのものが示してきたのが事実である。見方を変えれば、剣道の出発点として正しいのは、「剣道連盟」ではなく「道場」であるということ。「形の創造」の取材を通し、蓑輪氏はそんな当たり前のことを改めて気づかせてくれた。

太刀筋一円之型を打つ門弟

※この記事は剣道日本2017年2月号に掲載されています。詳細はこちら。

https://kendonippon.official.ec/items/33808478

形の動画はこちら

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