『剣道日本』2017年2月号 特集「形を知り、剣道を楽しむ」より
山梨県・正心館道場の蓑輪勝館長が、オリジナルの型(形)をつくり、日々の稽古のなかに取り入れている話の後編です。
文=月岡洋光、写真=窪田正仁
実際の古流に理合を学び、
時代劇映画の殺陣づくりを糧に
正心館道場の門人お二人に、「正心館道場流儀『太刀筋一円』之型」の演武を披露していただいた。
特徴的なのは、一手(剣道形でいう一本)ごとに間合を切って仕切り直すということはせず、自然なつなぎの動作をもって、技が次々と出される点にある。基本的な手順として設けられているのは、一手目から八手目まで計八手。それぞれ、溝口派一刀流がそうであるように、打方(うちかた・剣道形でいう打太刀)が勝つように設定されている。声を出すのは、八手目で打方が相手の太刀を切り落とした瞬間に発する「トウッ」のみ。それまでは無声で行なうのだが、縁を切らさず進行していくため、終始緊迫感を伴っている。
「一本打っては離れるという形だと、どうしても両者間の気の流れが途切れがちになるんです。ですから、技をつなげることで気が流れ続けることを狙いました。気脈を途切れさせずに一周する、ということも『一円』の意味するところです」
完成までの苦労について、蓑輪氏はこうも語っている。
「一番苦労したのは、ひとつの円をなぞるような、エンドレスに打ち続けられる方法の模索でした」
門人の演武では、一度「トウッ」と切り落としを行なった打方が、次には仕方(しかた)を務め、八手目には相手の切り落としを受けていた。型を二巡したわけだが、どこで入れ替わったのか分からないぐらい、その移行はスムーズだった。
「八手目を終えたとき、打方と仕方の位置関係が入れ替わるようにしているのですが、どうやれば無理なくそれができるかを模索するだけで、数年を費やしました(笑)」
結果、苦労は実った。型を打つ両者は、一巡ごとに打方と仕方の役割を入れ替えながら、延々形稽古を続けられるのである。これも「一円」の意味するところであり、やる側にとっても没頭できるという点で、面白さを味わえているようだ。演武者の一人が「子どもでも一日取り組めば覚えられます」と言っていたが、集中しきれるような型の成り立ちからしても、さもありなんと素直に受け止めることができた。
もちろん肝となったのは、型の一手一手をつくる作業である。格好の良い動きを空想してつくったわけではなく、蓑輪氏も、実際の古流に則った剣の理合の研究に没頭した。
「一刀流の技をいろいろ調べたり、古流の文献や巻物を精査したり。三手目で打方が執る『雷光』の構えなどは、『新陰之流 参学之巻』の絵図を見せていただき、こんな構えもあるのかと感心しながら取り入れました」
その構えがどのような理合を持って相手を制するか──蓑輪氏がその創造を楽しめたのは、映画製作に携わった経験がそもそもの原点になっている。
平成24年に文化勲章を受章した映画監督の山田洋次氏は、自身の監督作品として平成14年から18年までのあいだに時代劇三部作を発表した。真田広之主演の『たそがれ清兵衛』、永瀬正敏主演の『隠し剣 鬼の爪』、木村拓哉主演の『武士の一分』である。その三部作すべてにおいて、クライマックスシーンの剣術指導に携わったのが蓑輪氏だった。山田監督が蓑輪氏を気に入ったのは、古流にみられる剣術本来の理合を語れるところに殺陣(たて)のリアリティーを見出したからであったようだ。名監督は、それぞれの主人公の個性が、斬り合いの一瞬に引き立つような殺陣の演出を蓑輪氏に求めた。
「例えば、山田監督が私に『小太刀は大太刀に勝てるの?』と問いかける。こういう理合であれば勝てる……と説明し、納得していただいたことを実際に表現したのが『たそがれ清兵衛』の決闘シーンでした。その後も、『相手が逃げたらどうなるの?』という問いかけを元に創造したのが『隠し剣 鬼の爪』で、『人間って気配を読めるの?』という問いかけを元に創造したのが『武士の一分』の決闘シーンです。神経をすり減らした仕事でしたけれども、ものすごくタメになりましたし、『一円之型』をつくるにあたっても大いに糧になりました」
思いを形に表わすという点でいえば、「一円之型」の成り立ちにおいて、一手目(初手)に切り結びを行ない八手目の最後に切り落としを行なうことも、大事な節となりうる部分であると蓑輪氏はいう。
「野間道場で小川忠太郎先生がおっしゃった『剣道は相打ちに始まり、切り落としに終わるんだ』という言葉をもとにしています。相打ちというのは、お互いに一、二の三で打てばいいというものではなく、お互いが命を捨てるような真剣味をもって打ち懸かった、結果としての相打ちですね。そうやって、お互いに命を捨て合っていったところに、『切り落とし』という技が生まれる──命を捨てるような修行を通してこそ、新しい技を生み出せるという、剣の奥義のような教えです。竹刀剣道でも、最初から切り落としを覚えようとしても、打たれたくないという気持ちがあったらいくらやっても技になりません。ギリギリの攻め合いをして、打たれることを覚悟しながら真正面を打つことをくり返してこそ本物に近づいていける。そういう修行の姿勢を喚起したいという思いを、型に盛り込んだんです」
形で学ぶことを目指した蓑輪氏は、ほかにもテーマとなる大事な事々を型の端々に盛り込んでいった。そのうえで、門人たちに対して「一円之型」を通して表現すべきことを、いくつかのキーワードとして提示している。「居場所を斬る」「続飯(そくい)の剣」「残心」などがそれだが、それぞれについて蓑輪氏は次のように語ってくれた。
「『居場所を斬る』とは、際どく切り込むことです。打つ方はどうしても怖がって、最初から部位を外すように打っていきがちですが、それでは太刀筋の勉強になりません。『続飯の剣』の続飯とは飯粒で作った強力な糊(のり)のことです。その続飯でくっつけたかのように、自分と相手の剣先をしっかり合わせることを求めています。『残心』は、竹刀剣道だと打突後の決めポーズのように思われがちですが、本来は動作の一つひとつに伴うものです。『一円之型』は技が次々とつながっていく中で、お互いが動作ごとに残心を意識しなければなりません。残心があるから次に移れるわけで、言い方を変えれば、型自体が打ち合いと残心の取り合いで構成されているわけです」
正心館道場では、日本剣道形や木刀による基本技稽古法の稽古も怠りなく取り組んでいる。日本剣道形も、蓑輪氏は野間道場で佐藤卯吉範士から刀にある古流のエキス学び、門人たちに受け継いでいる。大事なことはすべて伝えるという気概をもって指導する蓑輪氏。道場主としてブレない視座があるからこそ、門人たちも純粋な気持ちで稽古に打ち込めるのだろう。 広く門人に蓑輪氏の求める剣理が伝わっていけば、野間道場の大家たちの教えは、さらなる大きな輪となって次代に受け継がれていくことになる。壮大な『一円』が描かれることを、亡き昔人たちも少なからず期待を込めて見守っているのかも知れない。 (終)
※この記事は、剣道日本2017年2月号に掲載しています。詳細はこちら。
https://kendonippon.official.ec/items/33808478
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